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インド旅行エリアガイド

インドは嫌いです

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過去5年間で16回(たぶん)海の向こうへの散歩をしている。そのうちの6回程、成田から同じ航空会社を使用して出掛けていた。行き先は、バンコク・・・すべての旅はバンコクで始まり、バンコクで終わる。 そこから、国境を目指したり、飛行機で飛んだりして、次の国を目指す。 バンコクは旅の基点となる都市なのである。その基点までの移動手段は必ず決まっていた。

昼の12時に成田を出発、夕方16時過ぎにバンコク到着。 帰国も深夜0時過ぎにバンコクを出発して、朝8時に成田へ到着。 スケジュール的に、これ以上ない最高の航空会社である。

機長のほとんどが空軍出身と噂されるだけはある程の離着陸が素晴らしい航空会社!! 機内食が日系航空会社のモノとは比べ物にならない程、独特だが美味い航空会社!! ビールを頼むと、なぜか決まって、2本くれる航空会社!! 機内音楽チャンネルはエキゾチックなダンス音楽が流れ続ける航空会社!! 意外にシートピッチが、格安系航空会社の中では広い(感じがする)航空会社!! 機長がつたない日本語でカタコトの挨拶をする(最近は聞かなくなった)航空会社!! なんと言っても、航空券が安いのが魅力的な航空会社・・・

エア・インディア

お客様の中には、懸念される方も中にはいらっしゃるかもしれない。 恐らく、日系や米系航空会社に比べれば、マイナーではある。 しかし、日本からの就航は1955年。 なんと、今年で50周年にもなる老舗航空会社と言えるのだ。 しつこいが、インドはもちろん、バンコクへの旅行にもエア・インディアをお薦めします。 そして、今回の出張は、現地で行われるトラベルマート(SATTE)への参加も兼ねた、エア・インディアからの招待であった。

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さて、本題に入る前に一言付け足しておきたいのだが、私はインドが大嫌いである。

何故?と言われると、話は5年程前にさかのぼり、高校3年の冬のことである。高校最後の記念に1人旅行に出た。場所はネパール。2月の下旬で季節は最高の季節。カトマンズのタメル地区を基点に散歩をしていた。ある日、私は財布を落としてしまった。全く気が付かなかったのだが、それを、拾い遠くから走って届けてくれた青年がいた。その青年は毎日、街でタムロしていて自称ガイドを名乗っていた。出逢いが出逢いだけに、その青年には信頼を置いて、街の案内を頼んだり、道端の飯を一緒に食ったりしていた、口癖は「ユー・ブラザー・ノーマネー」だ。 ガイドもノーマネー。飯代もノーマネー。今考えれば、怪しい事位解るのだが・・・ 初めての一人旅。18歳。まだ、旅行の世界も世の中の事すらも知るわけもない、 旅先での出来事を、全て素直に受け止めていた。

しかし、最終日前日の事である。 「トゥモロー・ユー・バック・ジャパン!ユー・ウォント・ミート・マイ・ファミリー?」 そんなカタコトの英語で家に誘われた。無論、「ブラザー」の誘いを断る事などなく、 言われるまま付いて行ったのが、馬鹿だった。連れて行かれたのは、街外れの住宅街。 ここが家だと招待されたのは、地下の独房みたいな部屋だった。少し躊躇ったが、 入った。入ってしまった・・・中は薄暗く湿気とタバコではないハッパの煙で異様な匂いが充満していた。とっさに、殺気を感じ振り向くと、男5・6人がこっちを見ている。 薄暗い中は肌が焦げ茶の人は目だけが光る。「歩き方」などに書かれていた旅行の注意を思い出した。やられた!!奴らの手口である。旅行客相手に仲良くなり、信用させて何処かへ連れ込む。代表的なもので男ならカード(トランプ)詐欺・女性なら強姦etc・・・

気が付くと、青年は部屋にはおらず、外から鍵を掛けている。閉じ込められた。 監禁とまでは言わないかもしれないが、軽い拉致軟禁である。 その後、どうなったかはさて置き、(約3時間くらいで開放)その連中が、インド系の奴らだったのがインド嫌いの大元である。ただし、この事件がきっかけで旅に嵌ってしまった。 今では、旅行会社で働くまで好きになってしまっている。 この後の散歩でも様々なトラブルにも巻き込まれて来た、トラベル・イズ・トラブルというテーマで旅をする様にもなった、トラブルに己から首を突っ込む事もある。 (注---お客様には安全で安心のご旅行を提供させて頂きます。) しかし、やはり何事も最初の印象は強いらしく、インドの国というよりも、インド人自体が嫌いになってしまった。あれから、5年・・・インドだけは避けて来た。

060619_4.JPGついに、そのポリシーが破られる時が来てしまった。否、ファイブスタークラブで働いている時点で、来るべきして来た事なのかもしれない。興味のない地域ほど、出張で飛ばされる傾向にある。確かに興味のある所は、自分でいつかは訪れるの訳である。そう思えば合理的でありがたい会社方針ではある・・・と思う。 出張と名のサラリーマン(?)には避けて通れない、一方的な通達により、 私は泣く泣くインドを目指す事になってしまった。

20Apr2005 Day 1

「成田空港第二ターミナル」私は、妙にこの言葉が好きだ。何かワクワクする。 まるでおもちゃ箱の様な感覚なのだ。(きっと共感して頂ける方もいると思う) しかし、今回はこの言葉が重い。いつもは、かばんにかばんを詰めて(行きの持ち物は無いが、帰国時には倍になる)意気揚々とチェックインするのだが、今回は、会社用カメラ、名刺、革靴、スーツ・・・小さなカバンに収まりきらない程の荷物を持ち、意気傷心でチェックインを済ました。経由地のBANGKOKの文字が眩しい。

今回の旅行で良かった所は、成田の出発まで空港内のラウンジを使えた事である。コーヒーもパンもビールもタダ!!個人旅行者上がりの人間にとってはとっても魅力的なのだ。 意を決し、飛行機へ乗り込む。12:00定刻通りの出発であった。

INDIA DELHI

ホテルに着いたのは、夜。今日は何もする事は無く、就寝。

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21Apr2005 Day 2

「フリータイム」私はこの言葉が妙に好きだ。やはりワクワクする。 異国の地で、筋書きのない冒険をする。そんな感覚だが、今回もこの言葉が重い。 ここはインド。右も左も上も下もインド人。 10億を超える敵が街中、見渡す限り何処にでもいる訳だ。

SATTE(トラベルマート)に同行している某ST社の方と某AI社の方の配慮で、デリーの観光に連れて行って頂く事になった。フマユーン、クトゥブ・ミーナール、ラージ・ガート、レッド・フォート。デリー定番コースを回る。やはりインドと納得したのは観光地の入場料だ。インド人10ルピー(約20円)に対し、外国人250ルピー(約500円)。それでも安くなったと言う。やはり、さすがだ!!(注‐‐‐ツアーコースに入っている観光地への入場料は不要)

後に、タージマハールも訪れるのだが、外国からの観光客の数は稀であった。 地元人や、社会科見学の地元小中学生が目立っていたのは少し意外である。 ただ、この日の観光で、少しずつ、インド嫌いの呪縛から開放されていた。 インド人は私が想像していたより、我を持たない人種のようで、シタタカな人種なのかもしれない。そんな印象を持ち始めた。比較対照は、中国人に比べると・・・ですが・・・

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22Apr2005 Day 3

「立食(りっしょく)パーティー」私はこの言葉が好きだ。妙にソワソワする。 普段食べている「立食いそば」に言葉は似ているが次元が違う。しかしこの言葉も重い。

しかも今回は規模も凄い、今回のトラベルマートには世界中からバイヤー達が訪れ、インド中の旅行会社が本腰を入れてセールスをしに来る、日本からも、会社を代表するような方々が参加なさり、とてもではないが、私は場違いの様な状況なのだ。 インドを代表する5星ホテルの中庭で、まるでインド映画の結婚式のような盛り上がり。

私は、ひたすら腹ごしらえ。暴飲、暴食。これでは、インドの富豪がお腹立派なのも納得できる。インドでは、立派な腹こそ冨の象徴で、憧れなのだとか。綺麗で若い女の子が、結婚してインドを象徴するおばちゃんになるのはそのせいだろうか? 私の主観で言う、かっこいい(スポーティーな)おばちゃんをインドではあまり見かけない。

パーティーは続く、2年前までは1食1ドルもしない飯を我慢して、 食わず散歩をしていた時もあった事を考えると、なにか複雑な気になる。 旅行は十人十色。人それぞれだが、私は全ての旅行を体験したい。 それでも、きっと学生時代の貧乏散歩が一番楽しいと言えるだろうと、少し物思いにふけながら、寝た。(飲みすぎた)

23Apr2005 Day 4

「雑踏」私はこの言葉が好きだ。なにか心の底から力がみなぎる。 「雑草魂」ならぬ「雑踏魂」が私の中に生きている。

今日はSATEEの暇な時間にマーケットへ散歩に出掛けた。 アジアのマーケット程、雑踏という言葉が似合うものは無い。所狭しと店は乱雑し、商品は店から溢れ、人々が行き交い、客引き、呼び寄せ、交渉、喧嘩、世間話などの訳の解らん異国の声が飛び交い、ありとあらゆる香りが交錯し、屋台が立ち並び、色トリドリの日用品や生もの、そして裏の裏に入れば恐ろしく危険なモノまで何でも揃っている。

目・鼻・口・耳・(もうヒトツなんだっけ?)とにかく五感を楽しませてくれる。 ディズニーランドに人々がワクワクする様な感覚なのだろうか? 私にとっては何よりも大好きなテーマパークが市場なのだ。

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24Apr2005 Day 5

「特急」私はこの言葉に違和感を持つ。 SATEEも終わり、今日からは1人会社からの指令に従い移動する。 「特急」。日本にいる時は、こんなに有難いものはない。 各駅列車で、1時間掛かる所を、30分で到着してしまう。遅刻しそうな朝には本当に無くてはならないものだ。しかし、旅行先に来ると変わってしまう。こんなにつまらないものは無い。特急券が必要になる為、アジアでは乗車出来る人など極僅かだ。つまり、ここで出会う奴らは金持ちの人達で、アメリカナイズされた考え方を持つ人々。そんな特急列車で、本当の地元民と触れ合いが出来るわけが無い。だが、アジアの普通列車の旅は凄まじい。カンボジア・ミャンマー・モンゴル・タイ・マレーシアと、私の列車旅行は限られてはいるが、それぞれの旅行が思い出だ。特にカンボジアの国鉄は本当に凄まじかった。

バッタンバン~プノンペン

バッタンバンの出発日、私は、少し寝坊してしまい、走って駅へ向かった。 駅へ着くと、遠くで列車の汽笛が聞こえた・・・どうやら乗り遅れてしまったようだ。 仕方なく、次の列車を待つ事にするのだが。 駅員に次は何時か?聞いてみた。駅員は微かに見える列車を指差し、アレだ!と言った。 なんだ、もう次が来たのか!とホッとしたが、よく見ると列車は遠ざかって行く。 ん?アレが戻ってくるのか?え?奴が目的地に着くのは、今夜のはず・・・って事は、奴がプノンペンを出るのは、明日以降?って事は、次の列車は・・・? 3日後だった・・・たった10分の寝坊が、まるまる3日のロスになってしまった。 でも気にしない。それがカンボジアだからだ。(ボートやトラックの荷台などプノンペンに行く方法はあったが、なんか悔しかったので、次の列車を待つ事にした。)

列車は相当年季が入っていた。窓にガラスはあるわけもなく。ドアもない。サーカス列車の荷台みたいな連結が続き、木は腐っていたりで、足を踏み外すと落っこちて外に転がる危険がある。落ちたら最後、列車には戻れないだろう。列車の先頭には、対ゲリラ・対地雷用のダミーの貨物車が連結されている。観光客が乗る事は滅多にない(最近は一般化している)当時はガード兼荷物番に警察を雇うのがベターだった。 何より最高なのが、列車の屋根に上れる事だった。 危ない!そんな声が聞こえそうだが、ここはカンボジア!!平均時速20kくらいで、のんびり進む。後から知った事だが、列車に乗り遅れたら、トロッコ列車を雇い、一緒に漕いで列車に追いつく方法があるそうだ。なんともまぁ。 屋根はいい!何処までも続く田園風景をのんびり進む列車の屋根から眺める。人生で最高の贅沢だったと今でも思う。ただし、お昼になる頃には鉄製の屋根はフライパンとなり、私は目玉焼きと化す。しぶしぶ車内に入るがクーラーはおろか扇風機も無く、人がごった返し、蒸し熱い。我慢が限界の頃、スコールが降った、また屋根に上る。濡れるのでは?と言われそうだが、結局屋根に穴が開いているので、車内も車外も変わらない。人が少ない分、屋根のほうがマシなのだ。夜、田んぼに小さな星達が「蛍の墓」以上の大群で光輝いている中、列車は5時間遅れでプノンペンに到着した。

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25Apr2005 Day 6

「タージマハール」恐らく、多くの日本人が最初に覚える異国の建築物では無いだろうか? 自由の女神・タージマハール・ピラミッド・凱旋門・ピサの斜塔・サクラダファミリア。 歴史の教科書に必ず写真付きで登場する。特に、タージマハールは何とも言えない共感を覚えた記憶がある。良く良く考えると、特に歴史上に存在の意味が無い建築物ではないのかと、小学生ながら思っていた。(詳しくは知らない。)世界7不思議でもなければ、勝利の記念とかでもなく、誰かが実験に使った訳でもない。聞けばただの恋人の墓だそうだ。

ただ、実際、実物に触れてみると、不思議な幻想に酔いしれる。 体を透き通る様な空気がスーと抜けていく。感覚。 初めて訪れたアンコール遺跡群「プリア・カン」で感じた感覚に似ていた。 私は現在そこを自分の「エデン」に定めている。 そもそも、私は「エデン」(平和で安楽の地)を探す為、 簡単に言えば「死に場所」を求めて散歩をしている。。。様な気がする。 なんか難しくなってきたので、この話は置いといて・・・ つまり、なんだ。タージマハールでもそれに近い物を感じる事が出来た。という事。

26Apr2005 Day 7

「最終日」私はこの言葉が嫌いだ。妙に寂しい。しかし、今回は違う軽い! 終わった。帰れる!!たった1週間だが一生分のカレーを食べた!!もう勘弁。 ただ、今回の旅行にも心残りなのは、各旅行会社の方々が口を揃えて言っていた事。 「インドは変わった。」という事。誰もがインドだけは変わらない!と信じていたのに。 そのインドが確実に、そしてスピーディーに変化を遂げているという。

私のインドのイメージは「死体」「乞食」「富豪」といった感じだった。 しかし、デリーには全く死体は転がっておらず。観光地から乞食は隔離され。富豪は当然街で歩く姿を見かける事などあるはずも無く。。。 インドの富豪がカレーを美味しそうに食べる姿を死体に群がる乞食達が恨めしそうに見ている光景(あくまでも私個人的な独断と強烈な偏見でございます。)など微塵も感じる事はなかった。もしかしたらベナレスへ行けば少しはそれに近いものがあるのかも知れない。

そう、インドは広い!!たった1週間。3,4都市しか感じていない。それでインドが語れるか?語れる訳がない。よし、次は半年マルチ(ビザの種類)でフルに勝負してやろう! それまで、カレーはお預けである。そう心に秘めて、帰国した。

以上、2005年4月20日から26日までの1週間インド出張のお話でした。 今回、私はインドを語りません。インドを語るには短すぎる旅行でした。 どうか、皆様。お暇があれば、是非とも5日間や8日間ではなく。 1ヶ月、否、3ヶ月はご旅行して頂きたい国である事は、間違えないです。 どうぞ、ご検討下さいませ。

深石大輔 (2005年11月5日~12日)